母との関係をどうにかしたかったから・・「許す」が許せない。そんな自分が許せない(4-3)
「どうしてエネルギーヒーリングやヒプノセラピーを始められたのですか?」と、聞かれることが時々あるので
書いておこうと思います。
目次
小さかった頃の記憶が大人になっても残っているから
大人になったときに、それが引き金になって大変な時もあるのです。
とは知らなかった私が、何年ももがきまくって、どうにかなって、今に至るお話です。
なぜ母に対して怒りを感じるのか、寂しさを覚えるのか。そのきっかけを思い出すことができました。
「母とのことをどうにかしたい」という想いや、夢に対して猛烈な興味が出てきたので
私は1年間のドリームセラピーのクラスと、半年のドリームセラピスト養成講座を受講しました。
毎月自分が見た夢の1場面を絵にして、クラスで夢について話し合っていくうちに
なぜ母に対して怒りを感じるのか、寂しさを覚えるのか。そのきっかけを思い出すことができました。
きっかけは、私が怖いと思ったことについて
『母に話を最後まで聞いてもらえなかった』こと。
怖かったけど、自力でなんとかしたことを
『ほめてほしかったのに、抱きしめてほしかったのに』ということでした。
それが「小さい私にとって」は、辛いと感じる出来事だったのです。
一人だけ、置いてきぼりにされたような感覚でした。
ヒプノセラピーを学んだ今なら、
ここで「この小さい私」の気持ちを、「この記憶の中にいる母に伝える」ことを選べます。
そして、傷ついているインナーチャイルドを癒すためにできることをします。
そうすれば、もっと早く母への対応も変わった、と思います。
でも、この当時の私はヒプノセラピーとはかかわりがありませんでした。
ここからさらに「時間薬」時間をかけていきました。
きっかけがわかったので「もう大丈夫かな」と思いましたが
なかなか心の揺れ・怒りは収まりませんでした。
一度大きく揺れたものを、無理に押しとどめると、反動が起きたり歪みができかねません。
振り子が自然に止まっていく時のように、この時は時間をかけていくしかありませんでした。
また当時はまだ心・意識の仕組みがわかっていなかったので、
実際の母にこのきっかけについて話して、謝ってもらったりもしました。
それでも当然なのですが、すっきりしませんでした。
ある日今までにない大喧嘩になりました。
こんな態度の私に、母もさすがに苛立ったのでしょう。ある日今までにない大喧嘩になりました。
お互いにひどくののしり合いました。
最後に「もう出て行って!」「出ていくわよ!」となりました。
2週間後に母は引っ越していきました。一人暮らしを始めたのです。
しばらくたって母から「もっと早く家を出ていれば、よかったわね。」と言われました。
でも、私はまだまだ気持ちの整理がつかず、返事ができませんでした。
母は私のぶつかり稽古のような遅い反抗期に根気よく付き合ってくれていました。
その期間同居してくれたのだ、と思うと頭が上がりません。
引っ越していったのだから、心も落ち着く。はず・・・
母を許せる。穏やかに付き合える。はず・・・
そう思っていました。
でも許せないのです。
この頃はややこしい考え方で、どうにか自分に折り合いをつけていました。
母を許す、穏やかな関係となることを受け入れる【そう考えている、理性の私】→
でも許せない、受け入れられない【そう感じてしまう、感性の私】→
許せない私が許せない私(なんでなの?もう終わったことなのに?)→
そう思ってしまう自分を許す(まだ無理なんだな、しょうがない、ってことだな)→
それを許せない自分(無理、ってもう引っ越して離れたし、大人なんだからいい加減にしないと)→でも、できない自分→
そんな自分を『許す』
こんな風に『許せないを許す』を、どこまでも繰り返していきました。
これでようやく『許す』という言葉を、どうにか受けとめられるようになったのです。
ここまで1年くらいかかっていると思います。
やっと許すを使えるようになったので、あとはそれほど時間はかからないだろう。
一つずつ前進させればいいのだから。
そう思っていましたが、あっという間に別居から4年経ち、以前母とは顔を合わせる気になれない状態でした。
「あれ~?なんでかな?」
「理由がわかって、すっきりしたはずなのに?!」
と思うようになり始めました。
そんな頃ヒプノセラピーの基礎講座が近くで開かれているのを知って、なんとなく受けてみることにしました。
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